2017年8月31日 旧約聖書の「戦争」とは?

 

長らくご無沙汰しました。

 

実は昨秋パレスチナ(聖地)を訪れてベトレヘムの生誕教会で大きなショックを受けました。

 

201612月記事参照

 

入り口の守衛の青年と長く話した際、聖書を読み取る方法が不十分だと痛感させられました。一つは現地に住んでいる人々の生活や環境をほとんど考慮していなかったことです。そして、もう一つは西欧思想に偏っていたことです。三つ目は新・旧約聖書の書かれた時代・環境、各書の対象となっている事実に関してほとんど配慮していなかったことです。4つ目は新約聖書と旧約聖書の内容を考えるとき、平面的机上の読み比べのような方法をとっていたのではないかという視点の足りなさなどです。

 

 

 

文書となった聖書の全てを即「神の言葉」として捉えてしまうことができるのだろうかと、改めて考え直しました。一つの具体的用語として、「平和」と「戦争」という概念について考え直す必要性を感じました。第二次世界大戦を超える国家間の戦闘行為はまだ始まっていませんが、事実として世界各地では紛争・テロの連鎖が連日行われています。

 

 

 

戦いはなぜ始まるのでしょうか?(後で詳しく述べます)

 

 

 

まず、旧約聖書における「戦争物語」に関する誤解と偏見を指摘します。

 

その主な箇所は民数記2113節とヨシュア記617節です。

 

 

   イスラエルは主に誓いを立てて

 

  「この民をわたしの手に渡して下さるならば、必ず彼らの町を絶滅させます(ヘレム)」

 

   と言った。

 

 

この意味は、戦いの勝利者である神に、全ての戦利品を神に捧げるという意味でした。

 

しかしながら、後世に聖戦論の根拠として解釈され、旧約の神は恐ろしい神と思われるようになってしまいました。

 

 

 

 儀式としての「戦争」でした。人間と人間が戦う戦闘行為ではありませんが、戦争形式をとるフクション物語と解する性質の文言です。こうした形式が使われたのは、古代人は神話や伝説に慣れていたからでしょう。

 

 語り部は対象となる人々に分かり易い方法をとるものです。 つづく・・・

 


2017年3月14日 春の招き

 

 

「雲の彼方から聞こえ、見える萌 

 

 

 

 冬は去り インコが歌い 河津桜は散り 麦は育ち

 

 

 

 蓮華が咲き出す頃 山吹は、もう、花開いた 

 

 

 

これも天の摂理

 

  

 

        天の導きは“いのちの営み”に現れる」

 

 

 

 インコの囀りを伝えられず残念

 

 

 

 朝早く庭に来てください。聞けます

 



2017年3月6日 イースターに向かって

今年の復活祭は416日(日)です。

 

その前40日間、イエスは40日山で祈ったことを思い出します。

 

 

その訳は人間が一人で生きられるわけでもなく、日々食べなければならないからです。必要以上に食べたり、一人ぼっちの世界に閉じ込められたりすることは誰でもあります。パンだけでも生きられないし、一人でも生きられない、人間の命の営みの困難さと喜びを知るためです。

 

 

 

お腹を空かすことの少ない飽食の中で生活を送っている人、その日の糧に困っている貧困者もいます。しかし、目の前に起こることしか見ないのが普通の人です。誰にでも、偉い人でも、弱い人でも、貧しい人でも同じように心身に抱えているもの、それが欲です。欲のない人はいません。その欲を適切に使える人はきっと喜びも大きいでしょう。使い方を間違えば、健康を損なうこともあります。

 

 

 

さて、食欲と同様に強いのが力を誇ることでしょう。誰でも負けることは嫌いです。他者には勝ちたいものです。自分には負けても、他人には負けたくない。これが生命の力のようです。ひいては自分は偉い、自分は力があると自己評価で満足しないと情けなくなる人間性もあります。断食、節制、祈りという言葉で語りましたが、断食とはバランスのとれた食生活の配分であり、健康を保つ喜びは自分に分けられているものを必要としているところに施すことです。人に分けられる勇気です。

 

 

 

名誉や富や権力を欲しますが、旧約聖書で代表的な人物としてはソロモンが挙げられます。彼は自分が神のごとく振る舞ってしまいました。旧約聖書をよく読めば、ソロモンの中にすべての人が嵌る落とし穴が見えてきます。

 

 

 

イエスは神の子であることを証するために、試練の時をヨルダン川で洗礼を受けた後に、自らすすんで修行されました。そして、その後はヨゼフの子と思われるのではなく、「この人は何か権威のある方だ」と人々に認められるようになりました。私たちは弱い人間ですが、その弱さに押しつぶされるのではなく、与えられている命を、イエスを真似するのではなく、一人一人の中にある“いのち”の力を感じる安らぎ、安息の時を大切にしましょう。そうすれば、弱さは弱さではなく、新しい希望のきっかけとなり、悲しみは悲しみのままではなく、そこから新しいいのちの欲が与えられます。

 

 

 

信仰とは、神を信じることとは目に見えないこと、耳に聞こえない音声、意識にのぼったことのない考え方から新しい知恵を受けることです。受けるまでの期間は試練の時です。復活祭までの40日とは世界の神を信じる人々が連帯して協働して祈る季節です。

 


2017年2月10日 ウィンウィンの危険と恐ろしさ

ソロモンの傲慢な祈り文を宣誓式で朗読した大統領の良心は何処にあるのでしょう…・・。

 

困った大帝国主義の宣言と感じます。これが誤った感じ方であると願うのみです。

 

何故なら、この思想は大国のみの更なる利益を策し、弱小国家を排除する政治思想ですから。聖書の正しい解釈ではありませんから。(列王記上8章参照)

 

政治は現代では短期決戦、選挙次第ですから、民の賢明な判断も必要です。

 

総理が、神の小羊の如く、より多くの人類の民の発展を

実現するために貢献するよう祈ります。

 

 

政治がnepotismにはまり込みませんように!

 


2017年1月24日 米大統領就任宣誓式と聖書

 2冊の聖書を使う理由は何ですか?

 

国家の命運を誓う式典は国民との誓約の神聖な場です。

リンカーンの聖書は、まだ頷けますが、

 

母親から贈られた聖書はファミリーの繁栄のためですか。

 

心から民のために尽くす目的なら、教会の公式使用のための聖書、

または古文書館所蔵の国家的に由緒あるバイブル

使うべきではありませんか?

 

 

 

更に危険なことは祈祷をささげた宗教代表者が

ユダヤ教とキリスト教の聖職者のみだったことです。

 

この姿勢こそ、本当の聖書の教えにそぐわないのです。

何故なら、キリストの思想はいわゆる”宗教“を超えることですから。

 

 

 

今から心することは、こうした価値観の人物を選んでしまった原因です。 選挙は必ずしも相応しい人が選出されると限らないとうことですが、

投票に代わる制度は、今のところないかもしれません…ので。

 

 

 

今回の事実が近い将来に如何なる現実を作るかと想像すると

恐ろしくなるのは私だけではないでしょう。

 

バベルの塔の建設は取りやめるよう、今から目覚め、一人でも

多くの民のためになる政策を考えましょう。

 


2017年1月3日 主の山に登ろう

 

 

 

 

シオンの山 聖なる主の山に登ろう

 

 

麗しく気高く輝く命の源流へ

 

この世の壁は厚く城砦のよう

人知では超えられない高い塀のよう

万軍の主・命を授けた神は私(私たち)を守っている

神はそこを治められる

 

 世の王たちは彼らの利害を相計り 武力と富で支配する

民は驚愕し、撤退して自分の構内に逃げ込んでしまう

しかし、まことの神は大嵐にも沈没せず 彷徨いつつも

いのちの都にいる

 

シオンの頂きは消えず、それを見る民は歓喜する


2016年12月20日 クリスマスとベトレヘム

巷から聞こえるクリスマス・ソングが少ないようだ。

 静かに主の誕生を祝えられるかな。

 2000年前 ローマ帝国とギリシャ雨帝国が派遣を争い、ローマが台頭し

 カナンの力シリア、地中海がローマに制覇された頃、ベトレヘムに起こった事実が、

 今でも、世界の祭りとなっている。

  痩せ地で険しい狭い地域が現代でも世界を揺り動かす場となっている。

 

 天と地の営みは、目に見えず、耳に聞こえず、体感もないが…

 お日様には照らされている。

 しかし、人はそれさえ忘れているのか。

 

 心の闇は絶えない。その理由は様々

 ベトレヘムはそれらを象徴する地

 

 10月の第2日曜日 ベトレヘムの生誕教会のミサにでた。

   はじめは ギリシャ教会、次にカトリック教会

   街の食堂で一人で昼食 その後 フランシスコ会修道院のカフェで休暇

  

  それから生誕教会の守衛のパレスチナ兵と談笑

   平和と経済的安心を望む思いは同じだった。

   誰が敵を作り出すのだろうか。

  

  世界はこれから大変動期になるかもしれない。

  でも案ずることなく、恐れも心配にも支配されないようにしよう。

 

    クリスマスには平和を願い、新年に心に新しい希望が湧くように祈りましょう

 

  【パレスチナ兵との写真】


2016年12月8日 天皇制(3)

 象徴天皇制の意義はどこにあるか

 

天皇が生前退位を望まれる理由?

人間を象徴とする思想は何か?

国家統合の象徴とは何か?

敗戦時に生き残った国家元首(昭和天皇)を象徴と位置付けた意図は何か?

 

政治上の実権のない国家統合の象徴として、何故、天皇制を存続させたのか?

歴代天皇で統治上の実権を握った天皇は何人いたか?

統治者が権威の根拠として天皇を利用し、

天皇は己の保身の具として政治的実力者、軍事力保持者を利用したのか?

 

日本史上継承されてきた制度が現行憲法にある背景を考えた上で、国民として平成天皇の訴えに何と答えるべきか

現憲法は占領軍が敗戦国の統治と支配の理念として発布され、そのまま平和憲法として存続している事実をどう受け止めるのか。

 

有識者会議の意見聴取が終わり最終答申案の討議が始まる機会に個人的見解を考えることは有意義と思います。庶民である国民はその決定に参加できないからこそ天皇制に関して考える責任がある

 

今、天皇制を考えることは国の未来のあり様を見つめること

象徴天皇制は暫くの間は継続するだろう。何故なら、象徴天皇の役割を評価する国民が多いように見えるから。人の心は簡単には変わらない。国家権力で安易に制度の変革を行うなら、混乱が生じるだけだ。無理な変革はしてはならない。

だからこそ、今こそ、象徴性の意味を問わなければならない。

今のところ、天皇不在の日本は想像できないから。

 

象徴は英語のsymbol、シンボルは見えないが存在するものを指し示す意味。

日本語の象徴は、極めて曖昧模糊とした専門用語である。それが定義もなしに憲法にあることも不思議だ。

 今上天皇は自らの解釈で国民の中に入る天皇として、存在価値を保持している。賢明な姿勢で象徴として、見える徴として、庶民に近づく行動で信頼を高めているが、高齢になり困難になり、終身「見える徴」は務められなくなる。

 何故、今まで誰もが語らなったのか?

 最大の理由は平和憲法という理想主義の理念に縛り過ぎたことに尽きるのではないか。

一点だけに問題が絞られ「国家と何か」考えることなく、木を見て森を見失ったのではないか。

 

 占領国の統治思想の哲学は何処にあったのか?

これこそ、論じられるべき問題点だった。

単なる反戦運動では正義は見失われる。根本問題が見失われていた。

 

そこで、聖書による信仰の視点から考えよう。

イエスの福音は国家レベルの教えではない。しかし、歴史の進展のプロセスに適応する知識と知恵が隠されているからだ。

イエスは帝国も小国家の存在も受け入れた。国境を超越する知恵である。

イエスは地上の諸問題は人間、人、人類の課題と見ている。

特定国家の利益は考えていない。

人の限界、人類の行き詰まりを超えるアイデア、知恵を見つける知識を啓示として告げられた。信仰である。

三位一体の神は、天地創造の目的はとして「愛の統治」を教え、敵と味方が同じ方向を見て、戦うよりの協力する思想を啓示した。

 しかしながら、その福音を宣教する教会が道を逸れた時代があったので、キリストの福音思想も説得力が弱められたしまった。

 だからこそ、真剣な討議が重要だ。

ここに人類史の悲劇があるのは否めない。

私もそのように考えている。しかし、今、その教会にいる

なぜか?  人間にすぎないからだ。

神は人類の過ち、指導者の失敗を責めない、しかし、見逃さない

その時、神は介入する。

神の介入は戦争でも争いでもない。

それは戒心、改心、回心である。失敗を認める人間性への期待である。

 

平和憲法は日本を発展させ、豊かにさせた。

もう、限界だ。 宇宙は進化、地球が一協同体となる方向に向かいつつある。

領地も境界線は必要だ。しかし、心の境界線は取り除く。

これがキリストのアイデアだ。

だから、考えよう。

 

国家の形態と国民の権利はいかなる体制がふさわしいか?

全国民投票制民主主義は人の権利を正当に擁護する?

民が平等に権利を享受できる制度がある?

正義とは一体何か。公平・平等とは? 

平和とは「どこに」あるのか?

国家の繁栄と国民の幸福はリンクするのか。

象徴性天皇制は、国家の安寧秩序維持にベストな制度か。

 

ところで、日本の天皇崇敬論の背景には古代からの精神性、自然界に宿る無意識のアニミズムがあると思う。善悪とか価値観を問題する以前に、精神文化の遺伝子の問題あるのではないか。

目に見える徴を求める人間は、抽象的存在は無に等しいとする価値観が根底にある。天の恵が生活を支え、天の下で民は助け合い労わり合って「和をもって尊し」とする生き方が「日出る国」の伝統。これこそが日本的神の国か

「和」とは何を意味するのか?

 

聖書による神の国の理念は自由・平等・公平な社会となるよう、真の愛が実行されることだろう。そのような国家が実現可能だろうか?

しかし、生命ある存在は常に身の安全を願っている。

国家も、それぞれの協働体も、家族も、同じように富と力と幸福を求めている。過ち・失敗・悩み、苦痛・困難があるから、国家の統治者、権力者も己の益のために動くように成り下がる。これが人間の宿命か。とすれば。何がある?

その点、象徴天皇は、元首でもなく、政治的権力もない、無害有益なそんざいなのだろうか。

 

キリストの福音には一つの正解はない。

終身制の利点と限界

公務のある終身制が可能か

神の国の福音は政治的統治には関わらない。人間の自由は侵さない。

政治は人間の責任であるから、その責めも人は負う。

国家も国としてその責めを負うが、その負担は国民にかかることを忘れてはならない。

 

今、日本は次世代の秩序をつくる憲法を論じる時代である。

安易なその場しのぎの法律を作ってはならない。

国民は忍耐と辛抱と我慢に追い込まれても、自分を見失ってはならない。

不十分な憲法なら時間をかけて総合的に検討されるべき。

しかし、いまのような政治状況では無理なことなのか。

だから、身近な話題として語り合うこと。価値観をぶつけ合うよりも、人心に与える影響を考えることです。

 

 何がベストの生前退位の方法か論じる時、天皇制の歴史的意味と象徴天皇の役割を話し合っては如何でしょうか?

 

象徴とは単なる徴サインではない

何故なら、サインは行動の自由を奪う指令である。

信号を考えれば、すぐ分かること。

 

祈願

 有識者会議が日本国家に限らず地球国家の平和に貢献する日本としての平和天皇制の確立の結論を出されるようお願いします。

 


2016年8月27日 天皇制(2)

平成天皇の知恵

 

 

新憲法の下で即位された現天皇は旧憲法の下で天皇制を維持された環境とは全く異なる歴史的状況にあります。

 

天皇陛下夫妻と皇室の皆さんは、何の権力もない立場に置かれていますが、その存在を意義ある象徴として活動されているように拝見できます。しかし、その中身はどのようなものなのでしょうか? 近くで接した経験がありませんので、人間的感触では語れません。ですから、国家の歴史的状況から考えたいと思います。天皇の生前譲位を天皇自らが発言した意義は大きい。このような発言は明らかに背景には政治が絡んでいるのは云うまでもないでしょう。 

 

 

 

明治憲法も含めて、天皇制は時の権力者の隠れ蓑のようです。その意味では、第2次世界大戦後、天皇制を廃止せず存続させた知恵はある程度評価せざるを得ないでしょう。国体を維持し、戦争のない国家として歩んできた事実は素晴らしいことです。

 

しかしながら、近年、政治家は憲法を蔑ろにし、富国強兵国家への道を開いています。

 

 

 

お金持ちになれば、弱い立場の者を助けるのは当然の義務かもしれませんが、武力行使を前面にするようでは真の平和精神を疑われても致し方ありません。

 

 

 

象徴天皇の立場は弱き民に寄り添う行動とすれば、それは本質的には宗教行為と思われます。とすれば、日本という独立国家は宗教国家でしょうか?

 

これも現行憲法の中での位置づけはどうなるのでしょうか?

 

多くの国民感情は、天皇・皇室の価値をどう見ているのでしょう?

 

象徴とは何を意味するのでしょうか? (続く)

 

 

 


2016年8月22日 天皇制(1)

 

 

 

多くの皆さま

 

残暑お見舞い申し上げます

 

 

 皆さん 天皇陛下のビデオを見て、聞いて何を感じましたか?

 

 良く聞き、賢明に考える事柄が含まれていますことは多数の人々が気づいているでしょう。しかし、それだけではありません。21世紀の国家のありようと統治思想があると思います。象徴天皇制は政治権力や経済状況に縛られる以前の抽象的ではありますが、統治上の崇高な倫理が秘められており、なお且つ、現在の地球上の人間の考えうる一つの制度かもしれません。

 

 

 因みに、オリンピックが開催中ですが、民主主義のルーツも、現代文明もギリシャの哲学にあります。何故でしょうか? 古代ギリシャの思想は受容の精神に溢れて、異文化を排除しないからです。その崇高な豊かな精神文化はローマ帝国に引き継がれ、キリストによって普遍性を強められ、永遠の福音となったからではありませんか。カトリック教会ではありません。何故なら人が運営する組織には誤りがあるからです。しかし、その失敗を進化させ、発展させる導きには人間の協力が必要です。カトリックはその点ではプラス・マイナスの歴史があります。

 

 

天皇制にも弱点はありますが、現在の日本の諸事情の中で、どのような価値があるか国民一人一人がそれぞれの場・環境から考える時です。一部の政治家や学者や宗教に委ねる事柄であってはなりません。

 

 

 是非、無関心とならず、無関係と決めつけず、自分の持っている情報から考えましょう。

 

 

 政治や選挙に委ねる以前の私たちは無力で、小さくされている民ですが、その思いを眠らせてしまいませんように。目覚めて祈り、考えましょう。

 

 

象徴天皇の真価はどこにありますか?

・そのプラスとマイナスの効果は何に現れますか?

 

  私の生活に関係あるでしょうか

 

カトリック世田谷教会司祭

 

関 根 英 雄

 

       


2016年6月30日 EU問題に感じる

 マスコミよ、メディアよ

 

なぜ、それほど騒ぐのか。 どうして事前に問題点を語たらなかったのか。

 

結果が出てから、なぜ? 

 

慌てて対策ばかり、探そうと世間を混乱に貶めようとするのか。

 

その場しのぎの報道は止めてくれ。

 

 

 

 民よ、落ち着いて静かに真実を探そう。

 

生き残る知恵は一人ひとりの胸の内を極めることからだ。

 

慌てるな! 恐れるな! 心配しすぎるな!

 

何事が起ろうが、太陽が休むことはなく、月も悠然と夜に光を放っている。

 

地球も運動を止めることはない

 

恐れるな  わずらうな。

 

 

 

急襲の自然災害を耐える精神力があるではないか。

 

天災を嘆いても 天を恨む人がいるだろか…・・

 

自分の足元を見よ 手を見よ 身体に触れよ

 

そこには 命が 魂が、心が息衝いているではないか。

 

静かに 息を吐き 吸って、…・・ 身・心を確かめよ。

 

 

 

イエス・ ノー、 ノー ・イエス という前に一人ひとり考える「とき」が必要だ。

 

イエスでもないがノーでもない可能性を探ろう。

 


2016年3月18日 ハッピー・イースター

               

 主の復活 キリストはよみがえった

 

 キリストは十字架上で死んだのではないか?

 死者が生き還るのか?

          屍体が息を吹き返すことなどありません

          死者の蘇生ではありません

 

 キリストの復活は何か

 死後の世界があるのではないか

 

         土葬の頃には、死んだはずの人が

         実は まだ生きたのに死んだと思われて

         埋葬されてしまったことがあったとか

 

 死後の世界があればいいなー

 もう一度やり直しができたらーーー

 いや、こんな辛い人生なんて 一回限りで十分さ

 

         でも、聖書には「死んだ人を神は生き返らせた」とあるそうですね

         死体(屍体)の復活を信じている人も多数いますね

 

 復活祭は何を祝うのですか

 キリスト教は死からの復活を信じるのか

 

         復活を信じることは、実験して証明はできません。

         物体ではありませんから。

 

 死者の身体は物体でしょう

 ならば 実験できるでしょう

 

         死の実験? 誰ができますか?

         来世から来た人に会ったことがありますか?

 

 キリストの復活 確かに納得し難い出来事

 “いのち”は物体ではない 霊、魂、精神

 

 人は生涯 何度 “じぶん”に死ぬでしょう??? 自我を捨てられるか?

 まだ、まだ 喜怒哀楽は いつも ありますね 

 

エブリデー ハッピー バースデー となりますように


2016.3.11 さあ 復活の時が始まっている

さあ 復活の時が始まっている

 

           何時もまでも 昔のことを語るだけでは寂しい

           過去から学べることは もう学んだ筈だ

              荒れ野にも道は敷かれた

              砂漠にも水は引かれた

              初めに執着するよりも 明日へ向かおう

 

            心に残る傷はいやされない

            でも 傷を引きずるのも悲しい

 

           忘れない記憶を力とすれば 回復は祝福だ

           命ある者は責任をもって 自ら生活すること

           

           自然風土は素晴らしい

           天も地も生きている  静かに活動している

           

種をまこう

喜びがやって来る種を蒔こう

喜びの種はどこから

自分のからだにある

 

         何を嘆くのか

        この命の力をしらないのか

 

この国を変えるエネルギーはあなた自身にあると分からないのか

しかし、無知な者には常に 訴えよう


2016年2月16日 天と地の動き

季節は動いている - 雲は常に動いている

 

     桜が開いた  だが未だ 鶯は来ない 寒さが戻った

     国会が揺れている  もう 政府は危ない でも国は大丈夫

     国民が立派だから  つまらぬ事柄で右往左往しない

     寒さをジッと我慢できる質である

     無用な心配するな 脅されるな  しっかりと立って居よう

     揺れても慌ててもいけない

     火を見ても怯えるな

     水を見たら  天・・警戒しよう  水は命だから

 

 立春は過ぎ 霧が立ち上り 霞たなびき 草木芽生えを待つ候となりました。

人事、人が動く34月 地に足をつけて見守ろう

          パスカ、過越しの時を落ち着いて

     

終わりは始まり

終わりは終了ではない

次から次へと新たな始まりが続く

 

バレンタインデー 若者の愛 目の付け所がすごい!

聖バレンタイン:ローマ帝国治世下、兵士の結婚禁止令に背いて殺された司教。

史実性は曖昧だが、多数の信者が帝国の法によって殺されたのは史実である。

兵士を集めるために結婚を禁止する法律があったこと自体が恐怖である。

         ああ! 恐ろしや  こんな政府や王はいらない

    今ではカトリック教会では忘れ去れた聖人が、どうしていま、

                日本人が興味を持つのでしょうか?

 

チョコレート会社の発想もすごいがそれだけで広まるはずはない。

愛って何だろう

セックスだけではない。

人を生かす知恵ではないか

相手を大切にしない愛はないはず・・・

それなのに騙される誰かがいる

 

どうして  どうして どうして どうして  静かに時を待つ


2016年1月1日  暦2016

お天道様は新年をご存知だろうか?

正月も様変わりしました。クリスマスの街も変わりました。

外国から来訪者が目立ちました。

時代、歴史は人の心に???の気持ちを植えつつ、地の上を彷徨っています。

創造主はそれが分かっているのでしょうか?

神様は“創りっ放し”、権力のやりたい放題におまかせなのでしょうか。

不安、心配する人が どこかにいます。

でも、そうした弱気にめげず、生き残れる者一人となりましょう。


2016年1月1日 新年と暦

 

 

千年も一日 一日も千年 Ⅱペトロ3:8

 

 

正月の意味は休み:することは、語り合う、祈り合うこと、そして 眠ること 

 

語り合うときは食べ、飲むこと 

  

祈り合う相手は誰? 

 

もう一人の自分 それとも神 人だけでは寂しいかも 

 

眠ることは易しい、それとも難しい 十分寝ておきましょう

暦はすべて人の助けとなる恊慟体の知恵です。 

時の重みを知るチャンスです。 

 

過ぎた日々を嘆かず、来るべき時を恐れず、 

今を大切にすることです。心配や不安を感じない時はありません。 

 

キリストは昨日も今日も 永遠です。永遠は「いま」現在です。 

その時 自分の〝いのち、身体、呼吸する息をしっかりと心で受けとめます。 

 

祈りは息を吐き続ける意思が〝あるかないかです。 

イライラを感じるなら息を吐きましょう。 

怖いなら手を合わせましょう。 そして 空を見上げましょう。 

そして 傍にいる方を思い浮かべましょう。大切な方を 

 

そして 天からの声が聴こえれば もう オーケー 



2105年12月23日 クリスマスって何でしょう?

クリスマスって何でしょう。

年中行事としてのクリスマスは定着したようです。

本当の意味は神様から人間性へのプレゼントです。

人間性とは、人は一人では生きられない、虚しい存在だということです。

自分の中に満足も喜びも足りないので、尽きることのない欲に支配されている人間性のことです。

 

でも、このような人間を造られたのは“いのち”の主である神です。

創り主から離れ、虚しい神を拠り所としてしまう人間に希望の道を開くために、イエスは人間となって現れました。

だから、神はイエス誕生の地として、もっとも弱小で貧困の極みにある時と場を選びました。

ベツレヘムは生きる環境としてはひどい状況でした。

エスは最も弱いもの、最も厳しい環境の中で生き抜いていくモデルです。

イエスは誕生と同時に命を狙われ、エジプトに逃れ、難民生活を余儀なくされました。

エジプトの地で故郷ナザレの地に帰るまでの数年間は、筆舌に尽くしがたい状況だったのでしょう。

聖書は何も記してはいません。

 

歴史状況は変わっていますが、人間性が貧しさと無力さの中に置かれている様は現代も変わっていません。

それでも一人ひとりは生活していく、それなりの恵みを受けています。

本当のクリスマスは、貧しさの中に生きていく知恵を授かる神秘です。

神秘とは個人性と人間性を活かしてくださる、天からの賜物です。


2015年12月20日 近づくクリスマス

ジョット(Giotto di Bondone)のこの絵を見たとき、なんて不思議な絵だろうと思いました。

幼子イエスが二人いるではありませんか

 

一人はマリアの手の中に。

それを見つめる牛とロバ。

その周りには12将来の使徒?

 

そして、家の外でしょうか、

もう一人は産婆さんの腕に抱えられた幼子。

産婆に手ぬぐいを差し出す女性。

 

傍には幼子を見つめる聖ヨゼフでしょうか。

ヨゼフの反対には天を見上げる二人の羊飼い。

幼子に近づく羊。

羊飼いの近くには命の木、そしてさらに上には天使の群れ。

中央付近には輝く星。


 

この光景は聖書に描かれている記事とはかなり異なって

13世紀のアッシジの様子も反映しているのでしょうか。

聖フランシスコは救い主の降誕の様子をプレゼピオとして作りました。

プレゼピオは馬小屋と言われていますが、実際は聖書にもこの絵にも馬はいません。

 

それは何故でしょうか???

その訳はイザヤ書1章2−3節にあります。

 

天よ、開け。地よ、耳を傾けよ。主が語られる、

「わたしは子供たちを養い育てた。

ところが、彼らはわたしに背いた。

牛はその飼い主を知り、ろばはその主人の飼い葉桶を知る。

しかし、イスラエルは知らず、わたしの民は悟らない」。

 

アッシジのフランシスコが新しい修道会を創立した頃のヨーロッパは経済的には発展しましたが、

人々の信仰心は薄れていました。

救い主降誕の意味は天からの恵みを忘れて、私利私欲を肥やし、

物的欲に溺れていた世の中に忘れられた神への感謝を気づかせるためでした。

地の豊かさゆえに、天から注がれる恵みを忘れてしまう人間性への警鐘です。


2015年12月11日 

今日のお天気は驚きと戸惑いです。

その中をお父さんと小さな男の子が傘をさして、足を踏ん張って歩いていました。

お勤め前に保育園に送っているようです。

最近は下北沢の街にも可愛らしい子供たちが目立つようになりました。

この子供たちの10年後には何が起こるのでしょう。


クリスマスが近づいていますが、サンタクロースが今年はいません。

これは私の見間違えでしょうか。

時代の移り変わりでしょうか。


今教会ではクリスマスを迎えるお祈りをしています。

でも、お祈りは見えませんね。

・・・・・・・・。



2015年11月26日 クリスマスの来る前に…

     

人は自分の生まれた時を知らない

母も自分を身ごもった時は知らない

しかし、出産の時は分かる

産む人は痛みを経るが 生まれる者はそれを知らない

その後 暫くの間 記憶もない

 

「自分がいる」と知ったのはいつだろう?

“ いのち”、生命は神秘だ 

 

 

   数え77、喜寿とは言え失敗続きの日々

   いつ、主の目にかなって歩めるのだろう

 

   キリストの愛は私のミスを覆い隠し

   毎日 新しい希望を与えてくれる

   神の愛はそれ程に深い。

 

十字架は復活への道だが、それは不可解の神秘

クリスマス

それは人類の過ちを償う神のことば

人間の背きを償う神の子の誕生

一人のいのちを救う神の愛の計画

 

今 地球は傷んでいる 泣いている

多くの人は孤独だ 寂しがっている

この真実を知る方は誰?

 

権力者の過ち、犯罪を見逃す者には祝福はない

だから、一人の人間こそ価値がある。


2015年10月30日&11月5日

 

 

 


世の光に守られて満76歳となり、


司祭叙階45年目に入りました。


まだまだ神の国では若年者。

 



 

 

 

日ごとに新しい主の恵みを祈ります。



2015年10月31日 ハロウィンに想う

13年前の秋、オレゴン州の小さな村でハロウィンを祝ったことがあります。畑には大きなカボチャが無茶苦茶と言っていいほどたくさん並べられています。あたかも収穫の豊かさを喜ぶような顔のように彫られています。

 

収穫の喜びを感謝するかのようです。通りには露店が並び、人々は思い思いにビールを飲む人、ホットドッグを頬張る人…子供の頃の田舎での秋祭りを思い起こしました。

 

人類にはいつの時代も無礼講な祭りがあります。日常から解放されて憂さを晴らすかのようでもあり、共に生きられる喜びを分かち合うようでもあり、本当に楽しいお祭りです。夕暮れ時になると、それぞれ仮装して互いに戯れます。

 

府中・大国魂神社のお祭りのようでした。

 

日本のキリスト教界も

何か楽しいお祭りを作り出すといいですね。



2015年10月21日 無題

晩秋の北海道を歩いてきました。
浮き沈みする落ち葉の絨毯から

遠い空に白雲が流れていました。

遠くを見ると、体も遠くに飛んで行くようです。
飛べない重い体でも
広い世界に、宇宙に招かれると心も大きくなります。
この落ち葉の大地は

数百万年前の噴火口に積もったのでしょう。

宇宙の生成は今も続いています。
私の生成は日ごとに新しくなっています。
永遠の彼方に向かって。

私の生成は日ごとに新しくなっています。
永遠の彼方に向かって。
わたしたちの教会も永遠のものです。



2015年10月5日 広い 広い 大きな秋

大きな 大きな秋

澄み渡る空

時には静かに清々しい風になびく白雲

時には激しく吹き付ける雨風

                               

”気候変動期” 

地球の心臓が燃えている 

地の面に噴出するのはいつ?

心ゆくまで”生”を見直す季節が来ている

 

平和と安らぎの時を豊かに生きよう

天と地の中間で思い思いにスポーツしよう

 

わたしのオリンピックはチビンピック

あなたは○○○○○ピック!!

 

とにかく明るく楽しく笑いましょう。



2015年9月25日 山中で出逢った、初めて見る白いキノコ




雷の多い年は椎茸が豊作となるそうです。

大雨にも恵みがあるのでしょうか。

地球の気象変動が叫ばれています。

神様の創られた天地にはまだまだ私たちの知らない恵みがあるようです。


身近な所にも驚くような事実があります。

自らの経験だけに閉じこもることなく、

謙る心となって自然の中に隠されている美しさを見つけましょう。


2015年9月15日 宇宙も地球も生きている

「宇宙から見れば、地球は小さいから大事です」
                 (宇宙飛行士 油井さん)
小さいとはいえ、私には正体不明の怪物のようです。
いつ、どこで、何が起こるか不明です。
大洪水の次は火山噴火でしょうか。


東京にも科学的には
地震が起きてもおかしくない状況だそうです。
今、その時のことを考えても意味があるでしょうか。

むしろ、いつ起きても受けとめられるように、
心の備えと、
物理的な環境をよく観察しておきましょう。
 特に目に見える
大空と雲の流れと雲の色に注目しましょう。



2015年8月19日 気候変動?宇宙の進化?

小さな畑の野菜が枯れている。

焼けた土の上では蟻がせっせと働いている。

暑さの中でせっせと動ける生き物はスゴイ。

今あるすべてのものは

宇宙の進化と自然変動の中を生き抜いている。

なんと素晴らしいことか。


アメニモマケズ カゼニモメゲズ ヒデリニモコゲズ

大自然の雄大さの中に存在するものは素晴らしい。

宇宙の造り主はなんと偉大な




人間はなんと偉大で なんと愚かなのだろう。

人は神になれるか。

死ねば神になる。

死ねば孤独になる。

こうした教えが実現するのが待ちきれず

多くの人が生存中に神になりたいと願っている。

ああなんと恐ろしい傲慢かな。

   

とはいえ、夢と希望がなければ生きられない。

暑さの中で涼を待っています。



2015年8月15日 地球の平和

地球が自転している限り、どこかで必ず新しい朝が来る

そのように私のいのちも毎朝新しくなる 

そうは言っても、私の心は不安と恐怖のほうが強いようだ

 

それでも、いつも「新しい(ネオス)とき」としての朝が来る

そのとき、私のいのちは新しい(カイノス)生命だ

 

新しさは

時間とそれぞれの存在の性質にいつも備わっているものだ

こんなことを考えているのは、

昔を思い起こして明日を夢見る男のロマンかもしれない


・・・8月15日を巡って種々様々な報道がある・・・

皆それぞれ事実だ……個人的記憶は風化してしまう。風化しない記憶となるために、何ができるだろう。
淡々と語り継げるのが良い。

私個人としては8月13日夜の絨毯爆撃が生々しく蘇る。
この記憶は日本全国各地で実際にあった事実であると暫くして知った。
戦争とは恐ろしいことだが、そのときは恐怖さえ子ども心に感じることもなかった。
何故だろう?

 

この体験にこそ、戦争を繰り返す人間の弱さがあるのかもしれない…………

 


今はアトリエとして使われている「カマボコ」、昔を知る人は”かまぼこ兵舎”と呼ぶ。
そのわけは、第二次世界大戦中南洋諸島に上陸した米軍兵士の兵舎だったからだ。
戦後70年以上の歴史がある、この兵舎が新しい文化・芸術のために使用されることは大変嬉しい。

真の平和は敵と味方が和解すること、天と地、正義と平和が抱き合うことではないだろうか。



2015年6月19日 夕暮れ時

 

 


梅雨時でも向日葵はひとりでに成長し、花を咲かせ実を結ぶ。

 

その向こうに平和の鳩が飛んでいます。

 

鳥たちも安心して日々の糧が得られますように。

 

ミルトスも小さな可憐な花を咲かせています。

 

 


2015年6月 正面入り口の左側面の壁画

スズナリ劇場のスタッフに書いていただいた天使、ノアの鳩、復活のキリスト、カナの婚礼のイコンの写しです。


2015年6月 境内にさらに2種類の紫陽花

他にも季節の花がいろいろ咲いています。敵は蚊です。

消毒はいたしませんので、おいでの節は防虫剤をご用意ください。

失礼…


2015年6月 かまぼこ兵舎


 

戦時中に米軍兵士の使用した兵舎「かまぼこ」です。


戦後70年を経た今では平和へ向かう遺産です。


今は芸術・文化の催しの場として利用されています。

 

 


2015年6月 水無月

 初めに、神は天と地を創造された。

地はむなしく何もなかった。

闇が深淵の上にあり、神の霊が水の上を覆うように舞っていた。

                           

                               創世記1章1−2節

      

 土質によって紫陽花の色は変わるように

 キリストの教えはその土地にふさわしく根付いていく

 写真:教会の紫陽花達



2015年5月 麦秋

 

 

初夏に良い麦は実り、美味しいパンとなり、

 

いのちが養われる喜びの時が来る。

 

キリストは天と地をつなぎ、

 

平和の種を蒔かれた。