2019年9月24日 ノアの信仰・宙を読む(神風を吹かせよう)Ⅱ

※2019年9月4日ノアの信仰・宙を読む(神風を吹かせよう)のつづき

今回の房総半島における自然災害の対応について考えてみましょう。

気象庁による予報にも50mを超える強大な風が予想されていました。

しかしながら、房総半島は台風の直撃の経験がなかったので、備えが緩かったのでしょうか…。

予報はともかく直後からの関係機関の対応は鈍いものでした。

道路網が寸断されて入れなかったのかもしれません。

しかし、房総半島には自衛隊の基地がいくつもあります。

木更津市にはヘリコプター部隊、館山には海上自衛隊の基地もあり、

習志野市も空軍の素晴らしい基地があります。

どうして彼らがすぐに救助救援に出なかったのでしょうか?

全くの想定外の被害で、地上をはじめ行政機関も対応できなかったのかもしれません。

それにしても、水・電気という生命に関わる事柄は国家の最優先事項ではないでしょうか。

房総半島の人口が少ないので関心が薄かったのでしょうか。

こうした自然災害に関して、国民的関心が鈍くなっていたのでしょうか…。

 

そこで、ノアの洪水物語を思い起こします。

聖書は天と地の関わりを読み解くメッセージです。

国家の政治体制や行政機関の諸問題を扱う文献ではありません。

しかしながら、地の上に住む人類は天の影響下で暮らしています。

それゆえ、国家機関は気象衛星を飛ばし、研究・予報を行なっています。

天気予報は特に農業従事者にとっては重要な情報です。漁業関係者もそうでしょう。

暮らしの基本である水と食糧産業が行政の眼から見ても手遅れの感があります。

 

旧約聖書に登場するノアは宙の動きを見て、大洪水が来ることを予測しその時に備えることを始めました。

その備える期間は1年や2年ではありません。

雲の動き、植物の生育、動物の行動など自然界の諸現象を読み取る知恵を表しています。

まずは、災害に備える心を作り災害に対応する施策を考え、事前に備えをなし、その時が来た時守るべきもの、

その期間を生き延びるための食料品などを準備しておくこと、そして、いざ災害が押し迫った時には安全の場所に逃れることです。

それがノアの箱舟です。

 

(聖書のメッセージは自然科学的な対策でも、政治的な施策、行政的な事への介入でも

ありませんが、常日頃の責任ある人々の価値判断となる出来事を予め指し示す助言のようなものです)


2019年9月19日 ローマ教皇(法王)来日に際して

 

1. 公式日程についてはカトリック中央協議会特設サイトをご覧ください。

 

2. 教皇と法王の称号について※1

 

カトリック教会はイエス・キリストに始まる。イエス・キリストは旧約聖書時代の信仰の歴史を受け継いでいる。アブラハムは天地創造の神(紀元前アブラムは偶像の神々を奉ずる宗教)の世界から旅立つ。旅の途中で目に見える偶像の神々から、天地万物を造られた神々の中の主である「天地創造の神」を信じるようになる。

 

 

 

旧約聖書時代のモーセの教え、預言者らによる言葉、バビロンの捕囚からエルサレムに戻ってきた民の中に伝承された知恵文学による教訓がイエス・キリストの新しい教え(神の福音)の背景となる。こうして、イエス・キリストの建てられた新約時代の「民の集い(教会)」となる。

 

 

 

人類史的視点に立てば、キリスト教の源流はメソポタミア地域とエジプト地域の古代の思想が種になっている。イエスは古代から言い伝えられてきた風習や文化的遺産を引き継いで、新たに神の国の信仰(思想)を説いた。イエスが意図した神の国は地上の国と対立する思想ではない。しかし、人間にとって「目に見えない神、耳に直接聞こえる言語でない神のことば」を聞くのは難しい。

 

 

 

神の国の信仰に関して聖書を深く理解するということには限界がある。そこで、カトリックは主なる神からの教えを引き継ぐ要として、使徒聖ペトロがいる。後に使徒聖パウロも加えられる。真の神の国の伝承を引き継ぐ役割として、ローマ教皇がいる。HOLLY SEA、日本語では聖座と呼ばれている。

 

 

 

もう一つの組織としてバチカン(市国)としてローマ教皇庁が行政外交機関としてあり、法王はそのトップの座にある。教皇という呼称は信仰上の呼称で、法王は国際政治上の称号となっている。

 

 

 

3.なぜ教皇は訪日されるのか

 

   38年前ヨハネ・パウロ2世の来日に際しては大手メディアの寛大なる好意によって、

 

日本武道館でのイベント番組も放送され、いくつもの番組がメディアで紹介された。

 

広島では戦争における人類の責任に関して発言され、「過去を振り返ることは 未来に責任を持つこと」と言われ、人類の未来への展望を開かれた宣言は私にとっては大きな希望のメッセージとなった。私にはローマ教皇の訪日に大きな夢と期待がある。

 

 

   

「信仰における神の国には国境はない」

 

 

 

旧約聖書から新約聖書へ、使徒時代から中世ヨーロッパの教会へ、十字軍遠征の諸問題、宗教改革時代の負の遺産、ルネッサンス以降のヒエラルキーによる聖書解釈の読み違えなど、組織としてのカトリック教会には現在の歴史的展望からすれば、誤りとも言えるような司牧の実態もあった。また、近世においては経済問題(利息を禁止)、労働問題(安息日、労働時間、働く人の権利)についても不十分な対応があった。

 

それゆえ、ヨハネス23世は第二バチカン公会議※2を招集し、歴史的な大刷新を行った。根本的目的は諸民族の文化・芸術の多様性と人類史上の豊かな芸術、諸宗教の伝承の中にある祭儀のかたちの多様な様式を認めることにあった。

 

 

 

 今、全カトリック教会は歴史的展望に立ち、本来のイエス・キリストの神の国の

 

宣教へ向かって刷新の継続中である。

 

 争い・紛争は絶えず、テロは連鎖し、気象変動・民の生命を脅かしている天災・人災、疫病の恐れなど、天地創造の主である神は心を痛めている。

 

 日本滞在中、是非当国の豊かな精神性も触れていただければ幸い。

 

そして、フランシスコ教皇の主眼点であるエコロジーと生命の尊厳にかかわる発言を期待している。

 

   

 

 

 

※1 『ローマ教皇歴代史』P.G.マックスウェル・スチュアート著

 

             高橋正雄監修 創元社

 

 

 

※2 第二バチカン公会議

 

   ➀開始宣言 19591

 

   ②準備開始 19595

 

   ③開催期間 19621965

 

 

 

   公会議後の展開

 

   教会の刷新、典礼改革、ヒエラルキーの見直し、教皇・司教の協働

 

   聖書研究の司牧的視点からの見直し、諸宗教の協力、

 

世界との関わり(エコロジー、生命の尊厳、災害・疫病などのグローバルな諸

 

問題)

 

 

 聖書の文言は永遠の真理を包含し、一義的に固定化される教えではない。

 


2019年9月4日 ノアの信仰・宙を読む(神風を吹かせよう)

山頂よりも高い、聖なる山を登りましょう(詩篇87参照)

 

川の流れ、時の動きを読み取ったノアに学びましょう

 

身体の感覚・空間は五官六感に限られています

 

昔より六根清浄、六根清浄・・・と富士山にお参りします。

 

 

 

♪ロッコンショウジョウ ロッコンショウジョウ 

 

      ロッコンショウジョウ ロッコンショウジョウ・・・

 

 

 身も心も清められますように・・・

 

 

 ヨイショ ヨイショ

 

 エッコラソ エッコラソ エッコラソ・・・

 

 

世の山を登る道は険しい

 

 道から滑らないように

 

 

ロッコンショウジョウ ロッコンショウジョウ

 

 

 

 

 

世の命は十字架を背負っている 続く

 


2019年6月12日

 ノートルダム大聖堂の火災、スリランカの教会へのテロ、カリタス学園のことなど、最近はカトリックを巡る事柄・国際問題などがニュースとなっています。

 

 

 

 フランシスコ教皇がイスラム諸国や非カトリック国を訪問し、秋には日本にも来られるとのこと。

 

南米・アルゼンチン出身者として、イタリアからの移民三世として、歴史的大転換期に立って身体的な全感覚で諸地域の現状・文化・伝統・国民性などを知り、その上で“神の国の福音宣教”の未来への展望を見つけようとされているのでしょう.

 

 

 

 イエス・キリストによる神の福音は全人類への各時代に告げられる希望のメッセージ。

 

宇宙的に人間の行動範囲が広まっている“今”、西欧文明基づく聖書解釈を超えて地球上どこにも(普遍的)ある神の業を見いだすことが目的でしょう。

 

 

 

 難民への食料配分の不均衡、疫病問題などの環境問題・富の配分の不均衡・民主義の低落など21世紀の世界的課題を神の福音による視点で読み解こうとされていると思います.

 

 教皇様が遠い日本へ来られるのは視察旅行でもなく、もちろん観光旅行でもありません。

 

 ヨーロッパから見れば、極東・東のはずれの小さな島国に流れる“精神的な豊かさに”触れること、経済面では驚異的な成長と不景気ともなっても“静かに佇み それなりの平和を保つ”が国民性へ関心もあるのでしょう.

 

 私たちも単なる歓迎行事やイベントで終わることのないように、この国にある豊富な歴史的伝承と生活が厳しいとはいえ、大きな争いもなく、世間的平和を共有している日本文化と小さなグループとしての教会の力強さを見てもらいたいものです。

 

 

 

 最大の課題は物的繁栄の中で「耐えて苦しむ“孤独な弱者”の心が如何に伝わるか」でしょう?

 


2019年5月20日 ジュリア祭で神津島へ

 第50回ジュリア祭に参加しました。

 ジュリアは神津島に流された韓国人のキリシタン女性です。

秀吉の名により朝鮮へ出兵した小西行長(キリシタン大名)が帰国時に親を亡くした婦女子を日本に連れ帰りました。ジュリアはその一人です。しかし、彼は関ヶ原の合戦で家康に敗れ、石田三成らと共に斬首されました(1600)

 

 家康は行長の元で育てられ洗礼を受けたジュリアを江戸に住まわせ、大奥で働かせていたのでしょうか。ジュリアがキリシタンと分かると、島流しの刑に処し、ついには神津島まで流されました。後に島民の手によって彼女の記念碑がこの島に建てられ、お花が供え続けられています。

 その事実が分かったのが今から55年ほど前です。その後、島の伝承を受け、ジュリア祭は東京教区の一つの記念行事となって50年続いています。数百年も続いている「言い伝えと死者に向かう崇敬」は大切な事実です。

 

 現代は何事も科学的実証が求められていますが、人間の技術では知り得ない真実があることも無視できません。

なぜなら、「私が産まれた」のは親の力だけですか?

私は信じます。「もっと大きな恵みがある」と信じます。

 

※最近の調査によれば、ジュリアが肥後国で洗礼を受けたことが記されている洗礼台帳が発見されています。

※朝日新聞2019年5月15日付夕刊,4 (1)


2019年4月23日 イースター2019

 

 

主イエスの復活は神の直接介入の唯一の出来事です。

人間の知性と知能と科学の力では決して起こらない唯一の賜物ですね。

この神秘を信じる人は幸いです。

 

その人は人間の手でなされる破壊や暴力や争いなどを心から悼みます。

自分の無力さを知って、失望しても一度自分の呼吸を止めて自分が作られたものである

自分の命が天から授けられたものと気づく時、ヨブ記にあるようにそのどん底から立ち上がらせていただきます。

 

 

まさに主イエスの復活は主の恵みを信じる人にのみ与えられる恵みです。


2019年4月9日 元号発表を聞いて

 

41日はあるテレビ局の取材で11時頃から元号発表のテレビを見ていました。私は「永・栄・英」を期待していましたが、令和という発表を聞いて「外れた」と思いつつも、万葉集と聞いて思わず手元の万葉全集を取り上げました。

 

 令和という発表を聞いて律令国家のイメージが浮かびました。総理は梅の香りになぞらえた大和国家の美しい自然の豊かさを説明され、私は四季豊かな縄文以来のこの国の美しい民族の誇りをくすぐられました。

それにしても、あまりに行き届いたセレモニーに唖然としました。さすが優れた演出。恐れ入ります。ふとアベノミクスのからくりかと

 

 本筋に戻しますが、「令」という文字は広い意味ではなく、「しめる」、命令を下すという語源が漢和辞典を見るとあります。国家の権威である法の令によって和をもたらす、という解釈もできますね。令によって平和をつくろうという意味にとることもできます。とにかく、日本語は倭国の言語である日本語の漢字は多種多様に解釈できますね。令和という元号を神の令で世界をつる、天地創造の方のお望みに従って、すべての民族、様々な文化、言語を使う地球上の民がバベルの塔を建てようとするのではなく、ノアのように自然災害の兆候を読み取り、一人でも多くの人の命が健康を保たれ、心安らかな和・和みのある明日に向かって新時代の徴となりますように祈ります。

 

 

 

 私自身は梅の香りと桜の美しさと菊の香りと秋の紅葉を思い浮かべております。

 

   秋の夕日の・・・

 


2019年2月19日

16日は鈴木淑夫さんの『試練と挑戦の戦後金融経済史』について、17日は白数直美さん(NHKエデュケーショナル)のイスラエル・パレスチナ個人旅行レポートを映像つきで聴きました。両日とも20名(一般参加者は10名、当教会信徒は7,8名)近くの集いでした。

 

鈴木さんのお話は第二次世界大戦後の東京の焼け野原と、多くの浮浪児の話から始まりました。私は小学3年生のとき、父に連れられて小石川の焼け野原と上野駅の浮浪児の群れを見たことがあり、怖いと感じて父の手を握った記憶が蘇りました。その後、父と共に親戚の家を訪ねるため、東京に来ては街の変化に驚かされました。ちょうどその頃からの日本経済の発展とバブル時代までの経済金融政策の学問的分析を聴いて感心しました。ソロモンのバブルの話を重ねて聞いていました。これに関しては後日書き記したいと思っています。

*参加者から、戦後の米国とのつながり、ドル相場の変動とか経済のしくみについて、あらためて聴きたいという要望がありました。

 

17日は白数直美さんの話で心と体とメッセージがつながる感動的な話でした。この場で分かち合うことができず残念ですが、伝えるのではなく、《伝わる》というメッセージの伝え方に内的衝撃を受けています。真の生きた出会いを自分の言葉で語れる道を探りたいと思います。

 

鈴木淑夫さん、白数直美さん、ありがとうございました。


2019年2月14日 聖書にもお金の話が幾つもある

1.生きる知恵は富の分かち合い

 

  アブラハムの旅:富の蓄積と分かち合いと土地の取得

 

 

 

2.分かち合いの時の欲の質

 

    ノア:未来を読み取る生き方

 

    バベルの塔の物語:力と富への飽くなき欲求の様と滅びの末路

 

 

 

3.王の務め(統治能力・支配者の智慧)と責任

 

  国家成立の背景:成長、繁栄と没落の理由、原因

 

     サウロ王の選出と愚かさ

 

    

 

ダビデ・ソロモンの統治の長所と欠落:繁栄と没落の要因

 

    国民の未来を考える姿勢の欠如

 

 

 

4.国家(政府)が倒れても生き残る知恵

 

    「残りの者」の思想が旧約聖書のメイン メッセージ

 

     アモス書:統治者への警告

 

     イザヤ、エレミヤ、エゼキエルら預言書

 

 

 

5.新約聖書(イエス・キリストの知恵ある生き方)・神の国の福音とは

 

     貧しい時も、悲しい時も、悔しい思いの時も、幸せと思い込んでいる時も

 

     死を覚える時も…・・

 

       「神の国」はどこにあるか?

 

     統治者の心に見えるか?

 

     

 

マタイ福音書5章 山上の垂訓

 

  ルカ福音書6章  平地の説教

 

 

問) 見えないお金が蔓延る世の中を生き残る知恵は何処にあるか?

 

 

 

神の福音は、国家の政策と繋がり、個人の喜びと生活と関係があります。

 

信仰と政治も強い繋がりがあります。責任が問われています。

 

個人主義と行き過ぎたヒューマニズは、無責任な生き方にはまります。

 

ポピュリズム、大衆迎合な考え方は自分を不幸の罠に貶めます。

 

キリストの喜びと感謝の心を深めましょう。